小2の夏休みの(宿題の)思い出
とにかく書いておかないと忘れちゃうからね。
まあ、いろいろあって、これはそのうち書ける状況になったら書きたいけど、とにかくバタバタした息子の小二の夏休み。
いろいろ話を総合するに息子の小学校は宿題が多い方らしく、減らしてほしいという熱烈な要望が保護者からあるっぽい。事前に校長先生からは減らしますというお話があったけど、夏休み前の面談で先生が
「夏休みの宿題(の量)を減らすって話だったのですが、どうするか学年の先生の間で話がまとまってなくて、まだ決まってません。」
と発言し、昨年通り派が暗躍していることが発覚!誰得?それから宿題が発表されるまで、減らす派の先生の勝利を祈っていたが、敗北したらしく去年と同量の宿題が出た。
去年はバーダウンチャートを作って、口うるさく言って、なんとか終わらせたけれど、今年は面倒になって簡単なリストと積み上げチャートをつくるのみ。
去年よりさらに自我の強くなった息子は、去年の100倍うるさくいってもちっともやらないのである。途中で諦めて、最終日なり、提出日なりに泣くが良い。それもまた経験であろうという諦めの境地に達した。
夏休み最後の土日になったらさすがにやるかな?と思ったけれど、やっぱりやらない。もう諦めの境地になっていたので、放っておこうと思ったら土曜日夕方になって夫が「家では集中できないから」と息子をファミレスに連れ出した。(もうこれは失敗経験なんだよ。余計なことするなよ)と思いつつ見送って、しかし、溜まりに溜まった宿題がそう簡単に終わるわけもなく、夕ご飯もそのままファミレスで食べるというので、私もファミレスへ。
結局4時間居座って、夜8時になってやっとその日のノルマを終わらせた。最後は疲れて泣いていた。これでちょっとは懲りてくれているといいんだけど。
来年は本当に放置したい。
いや、来年はぜひとも宿題減らす派の先生に勝利していただきたい。
そもそも何が大変って、クソUIのタブレットのワークが死ぬほどでるのである。まず、このワークはクラウドにあり、すべての動作がややもっさりしている上に、UIがいまいちで不器用な息子には操作がめちゃくちゃ面倒なのである。
去年はその操作の煩雑さぶりに、操作は母がやった。
めちゃくちゃガミガミ言ってなんとかドリル50%完了🫠
— busy_bee (@busybee_x64) August 22, 2022
このUIが最低。5+2=7と回答するには5をタッチ→キーパッド2をタッチ→+をタッチ→キーパッド1→” 2をタッチ→キーパッド2→=をタッチ→(以下略)ってクソほど面倒。尚キーボード入力は受け付けない。開発者の顔が見たい。 pic.twitter.com/VR14AzdKqa
今年はタブレットで漢字を入力するタイプの宿題が鬼門。なぜなら、割とはみ出し、および接触不良に厳しいのである。不器用な息子がタブレットで正解と判定される文字を入力するのは大変。紙の何倍もの苦労を重ねて、途中でやっとタッチパネルで線を入力することに慣れて、なんとか終了。あほらし。ほぼ、タブレットに指で思った線を引く練習だったわ。尚、タッチペンは付属するものの、掌をつけるとそちらを感知してしまうため、手を浮かせてペンで入力する必要があり、それも息子には難しかった。
来年こそはタブレットの宿題がでませんように。
kotosi
https://twitter.com/busybee_x64/status/1561703645489405952?s=20
{https://twitter.com/busybee_x64/status/1561703645489405952?s=20ライ編
一年生珍プレー集
日中随分暖かくなって春の気配がするけれど、次の4月には二年生になるなんて、あっという間のような気もするが、って書き出しで書き始めたのに、もはや理論上は2年生(ギリ始業式は始まってない)。
一年生、何をどうまとめていいかわからないぐらいいろいろあったような気もするけど、最早時間空きすぎて何書いていいか分からなくなったから、小学一年生の珍プレーだけ書いておく!
尚、小学校の国語で光村の教科書を使用していたので、同じ光村の方はよりお楽しみいただけると思います。
ひらがなトポロジー理論編
息子は字が汚い。ものすごく雑。たとえば、横棒と丸まった部分のある縦棒が交差している形で点がゼロなら「す」、点が一つのものを「お」、点が2つなら「ず」と主張して譲らない。ドーナッツとマグカップが同じ形として扱われるトポロジー理論を彷彿とさせる。しかし、ひらがなはそういう仕組みじゃないんだわ。トポロジーが同じだったら同じ字ってわけにはいかないのよ。
くじらぐも科学考証編
息子の国語のノートをこっそりのぞいて発見した「くじらぐも」の感想
「くもはすいじょうきなので、のっているのはおかしいとおもいました。」
お話の科学考証するのやめてくれる?
ノート貴族編
最初のうちは前から順に使っていたノートだけど、気がついたらパッと開いたページに書く様になっていた。従って、1番新しく書かれたのが何処かさっぱりわからない。ノートがもうすぐ無くなるという概念とも無縁。ノート利用率なる謎の指標で管理する必要がある。もちろんこっちの方が面倒。
かめの卵編
家でやらせている(本人がほしいと言ったから買ったけどぜんぜんやらない)ワークで、亀についての説明文を読ませて亀が産卵するのはどのような場所かを答える問題があった。その問題文では「土のきれいなところ」とあり、それが答えなんだけど、図鑑などで仕入れた知識で勝手に「すなはまのやわらかいところ」と回答。そうだよね、海亀はヒレで砂を掘るからね。ちゃんと柔らかいところを選ぶんだね。わかったけど、読解問題は君の知識を答えるんじゃないんだわ。そんな事、本文中に一言も書いてないじゃん?「土のきれいなところ」って書くんだよ!
たぬきの糸車の挿絵の感想
こっそり国語のノートを覗いたシリーズ。今度はたぬきの糸車の感想。
「たぬきの足に縄がぐるぐる巻きに結ばれる罠の仕組みが知りたい(母の意訳)」
それさ、挿絵の感想だよね?本文には罠に捕まったとしかない。挿絵が「罠に捕まって縄が足にぐるぐる巻きついて逆さに吊るされたたぬきの絵」なだけだ。本文無関係な上に、たぬきがかわいそう。とかそういう情緒的なやつじゃなくて、罠の仕組み…
あ、どうせあれでしょ?罠でそんなに縄が足にぐるぐる巻きになるのはおかしいって本当は思ってるんでしょ?くじらぐもの時に学習して、言い方をちょっとマイルドにしたやつでしょ?言い方を変えればいいってもんじゃないんだってば。だから考証すんのやめて。
来年、二年生珍プレー集ができない事を祈る。
お久しぶりです。
このブログは私が老後に読んで楽しむために書いているので、読者が少ないとか全然バズらないとかそういうことはモチベーションとは関係ない。はずなんだけど、最近書く頻度が下がっている。端的にいうと面倒臭い。140文字ぐらいで切り取れることは、ついついTwitterに書いちゃうし(すぐ消えるとわかっていても)、ちょっとまとまったことを書こうとすると、まとめるのにウンウンうなって結局投稿できないみたいな。
息子はこの4月に小学生になった。もう、問題が複雑化しすぎていて、大きな塊のようになって、ささっと書くみたいなことが難しくなりつつある。まあ、コツコツ少しずつかいてりゃよかったのかもだけど。これが息子の発達の特性、っていうと大袈裟だけど、今のところ標準の範囲(←ってなによ?)の得意不得意の話だったりすると、どこまで書いていいのか…?って悩んで、というよりその混乱の中にいると、それがどこまでの話なのかそもそも全然わかんなくて、より一層筆が進まない。
それで、さらに西原理恵子の件があって、たとえ実名ではなくても、発達に多少の得意不得意があるとか勝手に書いたらダメかな…?という悩みができてしまった。(←結局書いている。)
私のネットでのポリシーとして、リアルの私を知らない人が、ネットだけの情報を元にリアルの自分を探し出すことはできないようにしようと思っている。万が一リアルでの私を知っている人が、ネットでの私をみてこれはあの人じゃない?ってバレるのはまあ仕方ない的な。その代わりバレてもいい話だけにしているつもり。
見ている人の数と私のリアルの知り合いの数(どちらも極少)を考えると、天文学的な確率だけど。
となると、息子が普通の範囲の中で、勉強が得意で落ち着きがないので、学校にフィットするか不安だけどなんの援助もないですよって言われて、すごくムカついた話とか書いていいんだろうか。そもそも普通ってなによ。その言い方がムカつく。皆んなそれぞれ自分の中では普通なんじゃ。知っている人が見てたらあー、あのこそんな凸凹があるのかって思われちゃうじゃん。
でもこれはリアルで私又は息子を知っている人には即バレ情報なのよ…夫婦共通の友達に「うちの息子ちょっと落ち着きがない方でさ〜」って話したら、「(私たち)二人の子供で落ち着きがあったらびっくりだよ!」って言われたし。
うーん、やっぱり、こういうの書いておかないと私全部忘れちゃうと思うんだよね。老後暇になったら読み返して楽しみたい。多分、この試行錯誤とか苦悩とか全部、息子といられて楽しかったな〜って記憶に改竄されるはずだから。そうしたら、この記憶が宝物になると思うのよ。
西原さんみたいに、全国的に有名じゃなかったらいいよね?ここほら、ほぼ私しか読んでないから?だめ?
なんでもないような幸せ
我が家で「しまじろう」と呼ばれているロッテのキシリトールタブレット。毎日歯磨き後に息子と一緒に一粒ずつたべている。一袋にぶどうといちご味が混ざって入っているんだけど、息子は断然いちご味が好き。
毎晩歯磨き後に、ぶどうといちご一粒ずつ出して「好きな方を食べなよ」って息子に選ばせると、以前の息子は迷わずいちごを選んでいたのに、最近の息子は必ずぶどうを選ぶ。「いちご食べなよ。ママはぶどうも大好きだからさ」って言ってもぶどうを選ぶ。
あれ?ぶどうの方が好きになったのかな?っと思って「あれ?ぶどうの方が好きになった?」ってきくと「いちごがすき。」っていう。「じゃあどうしてぶどうにするの?」って聞くと「どうしてもママにいちごを食べて欲しいから」と言う。
この世にこんな幸せがあるなんて思っても見なかったよ。
(尚、私は味はどっちでも良いだなんて言えない…)
らりるれろとL
昨年から子供が、区の発音矯正に通っている。ただいま「り」の音を練習中。
ところが、何週か「り」の発音の練習をしても全然うまくならない。「り」の発音って基本丸めた舌を開いて上から下に落として発音すると思うんだけど、なんでか前から後ろに動かして発音している。
あるとき先生が舌の動かし方を教えてくれてびっくりした。「り」の音は口の上側(口蓋)に舌を摩擦させて出すというのである。え?口の上側?私上の歯の根元だけど??
慌てて自分の発音する様子を鏡で見てみると舌は実は前から後ろに動いている。つまり、私の発音方法が違う…?
あっ、私はいつのまにか英語のLと同じ方法で、日本語の「り」を発音していたんだ。っていうか、英語のLと「らりるれる」の発音方法って違うんだ!
参考になる説明↓
先生の説明曰く日本語の「り」は軽く丸めた舌先を口の上につけて発音する。でも、英語のLは基本舌先を上の歯の裏側に軽くつけて舌先で発音するので、「い」の母音と繋げると、上前から下奥方向に舌が移動するのである。
というわけで、息子は割と忠実に私の発音方法をコピーして「り」を発音していたのである。ゴメン。
というわけで、私も発音を意識してみると、語中の「らりるれろ」はわりとちゃんと発音できていると思うのに、一音ずつゆっくり言うと完璧に「La Li Lu Le Lo」になってしまう!ような気がする。(考えすぎで自分がどう発音しているのかよくわかんなくなってきたけども。)
と思って調べたら、こんなのも見つけた。
日本語の語頭のラ行の音は、「歯茎側面はじき音」です。
(中略)
英語などのLの音は、「歯茎側面接近音」です
(中略)
奈良時代に中国語のLを真似しようとして、日本語にあった「歯茎はじき音」と、中国語の「歯茎側面接近音」が
混ざって「歯茎側面はじき音」になったので、Lに似ているのもある意味当然ですが。
えっ?じゃあゆっくり「らりるれろ」って発音する時、「La Li Lu Le Lo」になっても、オリジナルに忠実ってことでよくない?なくなくなくなくなくない?
こどもちゃれんじのオジギソウお世話セット全力お世話記
もはや辞め時を逃したこどもちゃれんじ。親は毎月のワークをやらせることを負担に感じているのに、辞めようとすると子供が嫌がるので、なんだか惰性で続けてる。嫌がるならワーク自分でやってくれよと思うけれども、私もそんな子供だったので文句は言えない。
こどもちゃれんじ恒例、年長さんの初夏にはオジギソウお世話キットが付いてくる。そんなもん息子はどう考えても3日で飽きる。やる前からわかる。だって私が子供のとき、そうだった。つまり息子に何か足りないところがあっても、だいたい自分もそうだったので、あまり文句は言えない。カエルの子はカエル。
まあ、とにかく、もしウチの息子にお世話させたかったら、毎日毎日親がお世話するよう上手いこと声をかけてやる必要がある。面倒臭い。私は、そんな几帳面で気長な親ではないのだ。
息子がお世話しない日は自分で水をやってしまったほうが断然手っ取り早い。子供を促してお世話を学ばせるでもなく、枯らして子供に教訓を与えるでもなく、一番ダメな親。それが私。
でもオジギソウをどこまで育てられるか、ちょっと興味が出てしまった。これでは私の精神年齢が6歳ぐらいなのではないか。
というわけで、全力で母がお世話して得たノウハウをまとめてみた。
ちなみに途中で何度も大きな鉢に植え替えるか迷ったけど、お世話本にそのままの容器で大きく育った写真に「ここまで育てられたらすごい」と書いてあったので、意地になって植え替えはしなかった。つまらないことでムキにならない良識ある大人は、植え替えをすると下のようなことは特に何も起こらず、悩まず育てられると思う。
花を咲かせるまで
- 土にカビが生えてきた:直射日光に当てるとすぐに消えるので日中外に出すのがオススメ。ガラスの紫外線カット率は以外と高いので窓ガラス越しではダメ。台風時にどうにもならなくて、ジェルネイル用の紫外線LEDランプを当ててみたけど全然効果なかった(←アホ)
- 下の方の葉っぱが黄色くなって落ちる:栄養が足りない。市販の観葉植物用などの肥料を与える。正直お世話セットは土が少なすぎるので、8月ぐらいから水の代わりに薄めの液体肥料をじゃぶじゃぶあげていた。
花を咲かせる
- 花が咲かない:リン酸カリウムを与えよう。もしかしたら上で与える肥料をリン酸カリウム多めの物にすると別で与えなくても花がつくかも。ただ、バランスがわからないので、別であると調整が楽。花芽がつくまで少しずつ量を増やせばよいのである。9月中旬に与え始めて、なんとかタネをとるまで行ったけれど、最後の方日照が足りないのかタネが育たなかったので、もうちょっと早めがいいかもしれない。がしかし、早めに与えすぎると株の成長がゆっくりになって、お世話セットの写真ほど株を大きくできないかもしれない(←私以外にそこを目指す人いるのか?)
- そもそも花芽ってどこにできるの:花芽が付かないと悩んでいた頃、そもそもどこにできるかわからなくて毎日アチコチ必死にさがしていた。花芽は成長点に新芽と共にできる。
- タネが出来ない:咲いてもすぐ枝ごとおちるとかの場合はリン酸カリウムを足す。そうでなければ、受粉させる。朝花が咲いた時のふわふわの先端にポチがついたものは残念ながらすべて雄しべである。昼頃から翌日に向かっててでくる先端に何もついていないものが雌しべでこれに花粉をつける必要がある。前日咲いた花と今日咲いた花を優しくポンポンすると古い方にタネができる筈。あるいは前日花をこすって花粉をつけておいた綿棒でポンポンするとかすれば良い。タネができているとわかるまで間が空きすぎていたのでどの作業が功を奏したのか実はよくわからない…
- 株が倒れて斜めになった: 成長するに伴い土が少なすぎて、株というか幹というか枝が斜めになってしまう。あきらめましょう。植え替えるしかないけど、植え替えたら負けだから。絶対負けられないんです。
死闘の結果
というわけで、どうにかこうにかこれだけのタネをゲットしました。来年これを蒔いてもう一度育てたいかといわれると、全然そんなことないんだけど、でも発芽するかは見てみたくて悩ましい
子育てあるある「死ぬのが怖い」
ある晩、寝かしつけをしていたら突然子供が泣き出した。
寝かしつけをしていると息子が「死ぬのが怖い…死んだらそこで終わりだから」とさめざめと泣き出したので、育児が新たなフェーズに入った感がある。
— busy_bee (@busybee_x64) October 20, 2021
息子は悲しくてシクシク泣くような玉では全くなく、これまで「自分の思う通りにならなくて、怒りのあまり」って感じでしか泣いたことがなかった。
そんな子が突然「死ぬのが怖い…」とさめざめと泣くのである。びっくりである。育児が新たなフェーズに入ったことを実感する。物理的な欲求だけでなく、精神的な部分を満たしてあげないといけないのだ。
非常識親
親があまりにびっくりして優しくしたせいで、翌日には「死ぬのが怖いから、〇〇(夕ご飯の嫌いなメニュー)が食べられない…」などと言い出し、相変わらず親が学習してほしくない事のみに発揮される脅威の学習能力を見せて親を脱力させるも、以後ちょくちょく寝る前なんかに「死ぬのが怖い…」と言うようになった。
ところがどっこい、保育園から帰る時親がまだ自転車の準備しているのに、一人で走っていってしまうとか、辞めて欲しい危険な事を何度言い聞かせても辞めないので、ドス声で「死ぬよ」って脅す母親が生まれてしまった。周囲の人にドン引きされている気がする。いや、あの、その、これは、そう言うんじゃなくて…
絵本でなんとか誤魔化そう
とにかく子どもがあんまり怖がるので、なんて声かけたらいいのかなって思ってネットを漁ると(そう言うネットの質問に回答するのは)意識高い親御さんが多いのか、あの絵本がいいとかこの絵本がいいとか書いてあるのである。
というわけでそういう絵本を片っ端から図書館で借りてみることにする。
100年たったら
輪廻転生的なお話。輪廻転生で死を一時的なものと誤魔化す事によって、恐怖を和らげる作戦である。
息子の反応はと言えば、「生まれ変わりなんかないんだよ」ってキッパリ。
ネットで調べて子供の「死ぬのが怖い」に良さげな絵本を何冊か借りたのに、輪廻転生っぽい絵本「100年たったら」を読んだ息子が「生まれ変わりなんてないんだよ」ってキッパリ。君って超現実的なのね…😱 https://t.co/xKE3cGWk2k pic.twitter.com/h2lisWNatJ
— busy_bee (@busybee_x64) October 24, 2021
まあよい。まだ次がある。
ずーっと ずっと だいすきだよ
まあまあ有名な本だと思うけど、実は私も読んだことなくて。絵本なんてあらすじ知ってどうなるもんでもないと思うから書くと、
一緒に育った大切な犬が死んじゃうけど、僕は好きって伝えていたから後悔が少ないよ的な話(雑すぎる要約)
これ読んで死の恐怖が和らぐと思うかって言うと、全然だね。案の定、息子の反応も「ふーん」って感じ。
ハイハイ次。
このあと どうしちゃおう
いつものヨシタケシンスケ節。死んじゃったおじいちゃんがどうしてるかなってアレコレ考える。
ヨシタケさんは「ものは考えよう」って伝えたいみたいなんだけど、いつものあのユーモアなんで、息子の反応「全部ウソ」
いゃ〜、そうなんだけど。君、結構きっぱりしてるよね。
わすれられないおくりもの
最後はこれ。森の精神的支柱アナグマさんが亡くなっても、みんなの中にアナグマさんは生きているよ的な話(相変わらず雑な要約)
これは、息子が4歳ぐらいの時小児科の待ち時間に読んで、私が涙ぐんじゃった本。いい話なんだけど、本当はビビりな息子は悲しい話だと察すると遠くに逃げて、全く聴いてなかった。
はてさて、6歳どうなるか。
読み聞かせる前に自分で読んだらしい息子の感想は「悲しい話だよ」。読み飛ばしてる可能性もあるし、一度読み聞かせをしてみるも読後はまさかの無言。
でも文句が出ないだけ多分一番きっとこれが彼の心には残っていると思う。知らんけど。
で、全部読んだ後どうなったかっていうと、相変わらず寝る前に「死ぬのが怖い…」といっております。最初の時みたいに、メソメソ泣いたりはしなくなったけれど。