0点の同級生の思い出
下の記事みたいな、教育格差を義務教育によって解消すべきという意見を見聞きするといつも思い出すことがある。
私は中学1年のときから塾に通っていた。うちの中学じゃ、中3以外で、塾に通っているのは2−3割ってところだったと思う。つまり、私は格差の上の方ってこと。
たしか中一の中間テストか期末テストのことだったと思うんだけど、隣の席の男子の返却された数学のテストの点数が見えてしまったことがあった。野球部のピッチャーじゃないけどそこそこうまい子で、綺麗な顔をした子だった。
0点だった。びっくりした。塾に通っていた私としてはそんなもの90点ぐらいは取るものだと思っていたから。私がびっくりしていると、その子は
「いつもこんなもんだよ」って事も無げに教えてくれた。
それで私は、
「授業つまらなくない?」って聞いたら、
「つまらないよ」って答えた。
私は、多分、
「それでも授業をきいているなんて偉いね」みたいなことを返したと思う。
そうしたら
「なれてるから」って返ってきた。
全然わからない数学の授業を聞くのは辛いだけだし、ちゃんと静かにしていて偉いと思った。かわいそうだな、とも。勉強がわからないことじゃなくて、全然わからない授業を我慢して聞いているフリすることに、彼の時間が無駄に使われていることが。何か新しいことを理解するのは楽しいのに、それを経験する機会を奪われていることが。
以来、私は義務教育における習熟度別クラス分けを支持するようになった。
私の個人的な経験からできる子用のクラスがあれば楽しかっただろうとは思うけれど、それよりも、平均より大きく下回る人たちに、わかるレベルの授業をできないものかと思う。下のクラスでは人数を減らしてきめ細やかに教えられるようにするのもいいと思う。
結局、習熟度別のクラスを拒否することによって、拒否している人たちが救いたい勉強の苦手な子が犠牲になっているんじゃないかと思うんだ。