今年買ってよかったもの
今週のお題「2019年買ってよかったもの」
喉元過ぎたら忘れるタイプだ。だから、今年一番楽しかった事とか、辛かった事とか聞かれてもいつもパッと思い出せない。
だから、今年買って良かったものを、きちんとリストされている人を見ると尊敬していたのだけれど、今年の私は一味違う。ネットショッピングならお買い物履歴を見ればいいことに気がついたのである。今更。
Saks super700のカトラリー
iPodみたいな鏡面仕上げのカトラリーである。なんでも、既存のカトラリーよりも強度も高く、鏡面の輝きが長持ちするのだとか。
このカトラリー(特にスプーン)で食べると、今まで使っていた18-12のスプーンよりも明らかにツルツルで、金気がない。見た目がツルツルなことに興味はないと思っていたが、唇へのあたりや、舌触りが全然違う。
ティースプーンなら何故かヨドバシが激安で一本500円ぐらいで買える。これで、ヨーグルト食べると感動する。
問題はデザインがすごく限られること。私は悩みに悩んでソーホー というデザインにした。材質に拘らなければ、正直もっと好みのデザインはある。でも、スペック好きとしてはどうしても試してみたくなってしまい、一本スプーンを買ってみたら、最高だった。結局、全部買い替えた。最高。
羊毛敷きパッド
ムートンブーツを素足ではいた事ある?
私はある。ものぐさだから、ちょっとゴミ捨てだから見たいな時に、靴下を履かずにに素足ではいたら、そのはき心地にびっくりした。意外と全く蒸れないの。サラサラ。
それで、羊毛ってすごいなって思って、ベッドパッドもラクダの毛は無理でも羊毛にしてみたら違うんじゃないかという好奇心が湧いてしまったんだ。
今は、マットレスの上に、防水シーツ、ベッドパッドシーツの順にかけて寝ている。防水シーツはもちろん息子のおねしょ対策のため。その上にベッドパッドをかけると、おねしょのときパッドも濡れてしまう。でもシーツ直下に防水シーツだと、通気性が悪くて蒸れて寝心地が悪いし、ベッドパッドの意味がない。
というわけで、パッドには常に犠牲になってもらってきたのだけれど、これをこれを化繊綿のものから羊毛のちょっと厚みのあるものに変えた。化繊綿の吸湿性なんてたかが知れてるし、そもそも古いパッドは長年の使用でペッシャンコだったし。それが厚みある羊毛になった途端、シーツののサラサラ感が全然違う。最高。
厚みが増えることで懸念していた洗濯だけど、予想外に早く乾いてくれる。寒くなっても今のところ、朝に洗濯すれば夜寝るまでには乾いているから問題ないみたい。
一点だけ欠点がある。我が家のマットレスがダブルなので、ベッドマットもダブルで、大きくて家の洗濯機ではあまりしっかり洗えてる気がしないこと。何度かに一度コインランドリーの大型洗濯機で洗うとすごくすっきりする。
洗濯はちょっと課題だけど、羊毛が湿度を吸ってサラサラのシーツは本当に気持ちがいいから、もう手放せない。最高。
サンタじじばばクリスマスプレゼント問題
もうすぐクリスマス。
顧客の欲しいもの
世のサンタも大忙しのようだ。
何で他人事かと言えば、息子は11月から既にサンタに何を貰うか固く決めていて、全く揺るがないから。
自己肯定感に溢れる彼は、サンタが望みのものを持ってこない可能性など露ほども考えていないみたいで。
11月にお家に遊びに来たお友達が帰った後、「デカパトロールカーで一緒に遊べるから、クリスマスの後にまた遊びに来て欲しい(要約)」と発言するほどである。
いや、もうちょっとサンタが望みのプレゼントくれるかドキドキしていい子にしてくれ!頼む。
というわけで、アマゾンで価格が高騰しないうちに買います。以上!
じじばばプレゼント問題
まあ、でも今どきの子どもがクリスマスプレゼントを貰うのは、サンタクロースからだけじゃないからね。祖父母からも貰ったりするからね。
子どもが喜ぶだけで、親は嬉しくない事があると言う巷じじばばからのプレゼントなんだけど、私が(母親が快く思わない)プレゼントを祖父母から貰って育ったので、どんな下らないおもちゃでも、大物でも喜んで受け取るつもりでいたら、
じじばばが地味なプレゼントを贈ってくるようになりました…えっ、えっ、えっ?
いや、私はちゃんと、両方の祖父母が子供が喜ぶものを与えたいだろうと、最初は子供が喜ぶおもちゃを祖父母にリクエストしては、喜んで受け取っていたんだよ!文句なんか断じて言ってないんですよ。
で、最初は、それなりに子供が好きそうなおもちゃが届いていた。アンパンマンおしゃべり新幹線とか、トーマスのレッツゴー大冒険DXとか。
(ちなみにおしゃべり新幹線では、「次はパン工場〜」というアナウンスがある。その度に、あの付近に何もないように見えるパン工場に新幹線の駅を誘致する、やり手なジャムおじさんのことを考えてしまう)
だけど、教育熱心(これについて言いたいことは色々あるが)だったうちの親は、何度かこの手のプレゼントをして(そのくだらなさに)飽きたらしく、突如本などを贈って来るようになった。すごい、さすがうちの親(皮肉)
私より学歴のたかい夫の両親も、それなりの教育じぃじとばぁばだったようで、とうとう今年の誕生日には私の親から「さわって学べる算数図鑑」を夫の両親から「日本列島パズル」と昆虫図鑑が贈られてきた。
いやいや、4歳の誕生日ですよ?ちょっと早くないですかね?
こうして無事、(解決する必要など全くなかった)じじばばプレゼント問題は解決したものの、教育じじばば問題が勃発したのであった。
多分クリスマスにも、対象年齢を無視した、難しくて為になるプレゼントが贈られて来るハズ。
頑張れ、息子!
(というわけで、サンタさんが「子どもが欲しくて、親的にはくだらない」おもちゃを担当する事になったのであった)
掛け算の暗記の記憶
掛け算の順序の話を書いていて思い出したこと。
やっぱり欧米人は掛け算を暗記してない
昔オックスフォードだかケンブリッジだか、イギリスの名門大学の理系学部を出たイギリス人を含む6人で飲みに言って、お会計が23800円ぐらいだった時のこと。
幹事がお会計している間に、そのイギリス人がレジに表示された金額を見た後、パッと私の顔をみて
「いくら?」って聞くのである。
端数を切り上げて24000円、6人だから、ろくしにじゅうし、24/6=4、ひとり4000円。これ、日本人なら別に名門大学を出てなくても、普通にできるやつだ。
「4000円ですね」って答えながら、九九の暗記に語呂がないという噂の欧米だと、頭が良い人でもやっぱり覚えていられないものなんだな。と思ったのだった。
やっぱりインド人は15×15まで暗記してる
その後、インド人と仕事をしていたとき、なんでか会話中に、12*13ぐらいの数が必要になった。そしたらそのインド人がパッって暗算で出していて、
「あ、インド人は15×15まで暗記しているという噂は本当だったんだな。」って思って、
「インド人は本当にできるんだね!日本では9×9までなんだ」て言ったら、
「大きい方は、あんまり使わないよ。」って言われたんだよね。
パッと暗算している様子がかっこよかったから、私も15×15まで覚えてみよっかな。と思ったけれど、そう言われてやめたんだった。
圧倒的な数学センスのせいで、小学生の頃、先生が求める掛け算の順序で答えられなかった。
時々ネットで話題になる、掛け算の順序問題。
掛け算の順序問題とは
掛け算を記述するとき、
(1つ分の数)×(いくつ分)
という順で式を記述しないと、誤答とする小学校の先生がいて、それが許されるかどうかというのが議論になるやつ。
私はこの場合、掛け算には交換法則が成り立つし、どちらの数を"1つ分"とするかは主観による(数学的な定義ではない)ので、どちらを先に書いてもよいとする派。
今4歳の息子が将来学校で順序が違うとして、テストでバツをもらってきたら、小学校の先生にどのような言い方で抗議するか今からいろいろイメトレしてる(←)
ところが、子どもの頃、この順序を求めてくる先生に当たったことがあった。
そのとき、どうしても先生が求める順番(正しい順番とは決して言わない…!)で式を書けなくて、苦労したのだけれど、少し大きくなった時幼い自分のルールの数学的意味が分かったとき、小学生だった自分の才能に感涙した(嘘)
掛け算に順序は…ある?
掛け算に順序はないというけれど、実は掛け算の"記述"には順序がある。
中学で習うそれは、以下のように、変数と定数(係数)なら定数を前に書かないといけない、というものである。
y = 3x
この場合3が定数(係数)であり、x(エックス)が変数になる。
なんでそうするか?と言われれば、その方がわかりやすい=人間にとって自然だからだと思う(詳しいところは知らない。自分で調べてくれ)。
掛け算の順序をチェックされたのは、小学校のときだったけれども、その時点で私はこの変数を後ろにする感覚を持っていた。まあ、もともと人間の自然な欲求によって決まった法則かも知れないから、皆持っているのかもしれない。
しかしこの感覚のせいで、私は先生が求める順番で式を書くことができなかった。
問題その1
先生は全員に一人3枚折り紙を配ります。たろうくんのクラスが30人の時、折り紙は何枚必要ですか?
例えば、この問題の場合、先生は一人3枚配ると決めている。
そして、たまたまクラスの人数が30人である。もしかしたら明日転校生が来るかもしれないし、じろうくんのクラスは29人かもしれないけれど、とりあえず先生は今たろうくんのクラスで折り紙が何枚必要か知りたいのだ。
となると、これはy=3xのx=30の時のy値が知りたいのである。xはじろうくんのクラスだと29になるし、転校生が来たら31になるけれど、今は30であり、変動を予感させる値である。つまり、一人あたりの折り紙の枚数が定数なのに対し、人数のほうが変数っぽいわけである。
となると私はきちんと、教師のもとめる、
3 × 30 =90
と式が書けるのである。ところが、
問題その2
たろうくんのクラスは30人です。折り紙を全員に配ったところ一人3枚になりました。折り紙の枚数はいくつでしたか?
この問題の場合、事前に一人に何枚配られるかはわかっていない。2枚かもしれないし、10枚かもしれなかった。でも配ってみると、たまたま3枚になったのである。
となると、これはy=30xのx=3の時のy値が知りたいのである。折り紙の枚数は事前に分かっていたわけではないが、クラスの人数は分かっていた。一人当たりの折り紙の枚数の方が、変動する値である。もし、クラスの人数が異なっていれば、一人あたりの折り紙の枚数もそれに伴って変動する。つまり、折り紙の枚数のほうが変数っぽいわけである。
そうなると小学校二年生の私はどうがんばっても、
30 × 3 = 90
としか式が書けなかったのである。
ここまで書いて、ふと気がついた。大人になると、掛け算の順番にこだわる派のフォーマットをよく見る場所があることに。
掛け算の順番が決まった世界
この「(1つ分の数)×(いくつ分)」の順番を必ず守っている世界が世の中にある。会計である。これらには必ず単価と個数が記述されていて、単価x個数って計算していると思う。(その割には請求書はなぜか、個数x単価の表記になっていることが多いけど)
つまり、算数とは数学の基礎ではなく会計学の基礎だったのだ!?
小学校で習う算数の大元を辿れば、それは江戸時代の寺子屋で習う、商いのために必要な技能としての「そろばん」から来ていると思えば納得である。
順序にこだわる派の先生方は数学の基礎としての算数ではなく、会計学の基礎としての算数を教えているのであろう。
だったら文書問題は全部見積りとか請求書にして、掛け算とか呼ばず、会計算とかにして欲しい。
そうしたら、将来私も学校にクレームを入れずに済むし。(←気が早すぎる)
大人の問題解決能力
最近の息子のお気に入りの朝ごはんは、食パンにスライスチーズを乗せて、焼かないで、そのまま食べること。
息子は、最近やっとスライスチーズのフィルムを自分で剥けるようになったのだ。
チーズのフィルムは最初に上側をめくって、その次が難しい。表面の下側(反対の端)はチーズにしっかりとくっついているので、剥がす時爪でチーズをえぐってしまうし、上側をそのまま裏側にめくるとしても折り返すところが難しい。
息子はそのままめくった端を裏側へと折り返して、剥いている。
大人でも乱暴にめくるとチーズの上の角が欠けてしまう。欠けるまでいかなくても破れてしまう。4歳の息子にとって、チーズを綺麗に剥くことは、なかなかのチャレンジである。
まあ、大人になるとチーズが欠けても破れても気にも留めないけれど、4歳にとっては、チーズの欠けは世界の終わりだ。ちょと破れてもご機嫌を大幅に損ねて、その後の保育園登園までの進行が大変になってしまう。分別のある会社に遅刻したくない親としては出来れば避けたい事態である。
だから本当は朝ごはんにしたくない。でも、そこは本人の希望だから。本人の希望を退けるのも、その後の進捗に大幅な影響が出るから避けたい事態である。つまり、私はあっちも、こっちもイヤなのである。言ってることが4歳児と変わらない。
案の定、その日のチーズにも亀裂が入ってしまった。ご機嫌を損ねないように、素早く破れたチーズを取り上げて自分の口に放り込んで、冷蔵庫の中から新しいチーズを出して渡す。
が、もう一枚も同じ所で破れてしまった。
しまった、これはコープで買ったいつもとは違うチーズで、よく見ると、いつものに比べて添加物的な物が少ないからか、見るからに粘りがなく、破れやすそう。これでは何枚渡しても息子がチーズを破かずフィルムを剥くのは無理だ。
みるみる息子のご機嫌が急降下してゆく。このままの気分でいられては、その後の進捗に大幅な影響が出てしまう。保育園及び会社に大遅刻は必至である。
ヤバい。なんとかしないと。ここは大人の問題解決能力を使って、親の威厳というものを見せつけるのだ。
そうだ、破れが気になるなら、積極的にくり抜いてしまえばしまえばいいのである。発想を転換するのだ。
クッキー型をキッチンの引き出しから、取りだしながら、「何の形にしょっか?」と訊く。
「猫さんにする?」
まだちょっと渋い顔。
「じゃあ、アヒルさんは?」
だいぶ機嫌がなおってきたぞ。
「…はろうぃんにする」と息子。
やったぁ!これで深刻な事態は回避された!
ハロウィンのコウモリやかぼちゃのクッキー型を渡すと、息子が嬉しそうに破れたチーズをお皿にのっける。一緒にああだこうだ言いながら、コウモリだのおばけだのを抜いては、「食べないでぇ〜」とか小芝居して遊んだりして。すっかりご機嫌になった息子はもう一枚チーズを剥いて(もちろん破れたけれど、最早気にしていない)、型で抜く。
そうして、楽しく二人で朝ごはん食べながら、「見よ、これが大人の問題解決能力というものだ。」とか達成感を感じていたら、
保育園にも会社にも遅刻の時間だったのである!!!!!!不思議だね!
(全然不思議じゃない)
慌てて、保育園までの道を自転車でかっ飛ばすのであった。うん、問題解決できてなかったね…
お気に入りのスーパー
保育園の帰り、日課のように立ち寄るスーパーがある。
保育園の近くの大きいイトーヨーカドー、の向かいにある小さな小さなコープである。
向かいのイトーヨーカドーの野菜売り場と同じぐらいの面積しかないと思う。小さな店だ。夕ご飯の買い物にはちょっと遅い、いつもの時間に行くと、お客さんはどんなに多くても他に2組ぐらいしか居ない、なんなら店員さんのほうが多いことがある店である。
イトーヨーカドーではなくそのスーパーに通い始めたのは、なんでか息子がその店に行きたいと言って譲らなかったから。でも、今では母もお気に入りの店だ。
まず、店が小さいのが良い。目を離すとすぐどこかに行ってしまう息子をすぐに見つけることができる。他のお客さんは少ないから迷惑をかける可能性も圧倒的に低い。
向かいのイトーヨーカドーだったら、お菓子売り場に一人にするのもまだ躊躇うけれど、この店だったら大丈夫。どの売り場もすぐだから買い物しながら30秒ごとに様子を確認できる。
それから、これは通ううちに気がついたのだけれど、お菓子売り場はレジのすぐそばで、レジに立っている店員さんが息子のことを実は気にかけてくれている。なんせ、客は私たちの他に2人いれば良い方、つまりレジも大抵空いているのだ。もちろん、そんなこと全然期待してなかったけれど。
例えば会計の時に、私との激しいバトルの末、2つ欲しがっていたお菓子を一つに絞った息子を褒めてくれたりして、私と息子の会話は全部聞かれていたこと、気にかけてもらっていたことを知るのである。
ある日、珍しくレジに会計中のお客さんがいた。その後ろに並んで、レジ台にカゴを置くと、並突然息子が自分のおやつを引っ掴んでレジの中に入り、バーコードをスキャンしてしまった。
本当にあっと言う間。一瞬の隙を付かれた。確かに、彼はずっとレジのスキャンがやってみたくてしょうがなさそうではあった。でも、最近は言わなくなったので油断していた。
なにせ前のお客さんのレジはまだ終わっていない。慌てて前のお客さんと店員さんに謝りながら、店員さんに商品のキャンセルをお願いして、息子を強制的に確保してレジの列から離れる。
空いているお店の最もお客さんの来ない場所まで無理やり連れて行って説教である。
そんなことをする子はもうスーパーに連れて来れないと叱る。息子は、母の剣幕に意固地になって、激しく泣くだけである。親が強く叱れば叱る程、反発して言うことを聞かない。知ってる、私もそういう子供だった。しかし、これは譲れない。何度も念を押す。息子はますます反発して泣き叫ぶ。全然終わらない。
そろそろ、このままぎゃん泣きの息子が店内にいることも迷惑だと感じ始める。いくら客の少ない店の、滅多に客のこない売り切ればかりの惣菜コーナーに移動しているとはいえ。他に1人ぐらいしか客がいないとはいえ。
店員さんかこちらを伺っているのもわかる。何度も言うけれど、何せ小さい店なのだ。叱る声は全部聞こえているだろう。
何度目かの念押しで、「もうやらないでね?連れて来れないからね。」というと、
「じゃあこれ読んで。」
とその辺にあったポスターの文字を全部読むことを要求してくる。
「読んだら、もうやらないんだよ?」
息子が初めて小さく小さくうなずく。
意味不明だ。しかし、これ以上お店に迷惑をかけるわけにもいくまい。読み上げる。
なんとか落ち着いた息子を連れて、今度は誰も並んでいなかったレジでお会計をしていると、レジのおじさんが(もちろん、さっき迷惑をかけたおじさんだ)
「僕も子供の頃こんなだった気がするんです」
と優しく笑いながら言ってくれたのである。
こんなの、泣く。
「本当にすみません」とぺこぺこ頭を下げながら、お金を払う。
隣のイトーヨーカドーみたいに洗練されたザお客様は神様ですって感じの接客じゃない。でも、ちょっと素朴だけど、逆に言えば、マニュアルじゃない暖かい接客をしてくれる。ここでは、息子も、私も、受け入れられている。
初めて店内で「トイレ!」と息子が叫んだ時、近くで品出ししていた店員さんが間髪いれず「あっちよ!」と場所を教えてくれたこと。会計の時レジにいたその店員さんが「間に合ってよかったね」と言ってくれたこと。
2列に積んであるお店の入り口のカゴを、いつも同じ高さに揃えないと気が済まない息子に、今日もなのねと笑って、やらせてくれること。
これが、地域の中で子供を育てるってことなのかも知れない。
私自身、郊外で暮らして、イトーヨーカドー的スーパーに通って育ち、こんな経験を子供の頃にした記憶がない。
いつもいくお店に自分の成長に目を細めてくれる顔見知りの店員さんがいるって幸せだ。こうやって息子が、親や保育園の先生以外の大人に受け入れられる経験を出来ることが本当にありがたいと思う。
お菓子の品揃えだってイマイチなこの店に、何故か息子が通いたがるのは、彼自身がこの店に受け入れられている事を感じているからかもしれない。
これからも保育園を卒業するまでずっと通うから、なくならないでね。
いつもお客さんがいないから潰れないかすごくすごく不安だけど。
とってもかわいいから
子供に悪い癖がついてしまった。
仕上げ磨きの時、親のスマホで動画を見たがるのだ。歯磨き中暴れる子供を何とか大人しくさせる為に、夫が始めた事だけど、母が磨く時も何か見せろと要求してくるようになるまで時間はかからなかった。ていうか、そんなもの翌日だよね。パパに見せて貰った次の日には、歯磨き中の動画を母に要求してくるようになった。
そして、いつしか、父より母に磨いてもらいたがるようになった。なぜなら、父なら歯磨き終了とともに即動画を止められるが、母だとゴネねることによって、今見ている動画の終了まで見れるからである。
だから息子は断然母に歯磨きしてもらいたいのである。歯磨きはどうでも良くて、1分1秒でも長く動画が見たいだけであるが。
「ママ歯磨きして?」
昨日も要求してきた息子に、洗濯物を干したくて
「お洗濯物干すから、パパとやって?」と答えると、
「ママがいいの。」
どうせスマホの動画目当てだと知りつつも、
「どうして?」と訊くと
「だって、ママの方がとってもかわいいから!」
と満面の笑顔。
敵も知恵を絞って来るようになったぞ…
こう言えばきっとママが磨いてくれるはずと言う、してやったぞという笑顔がかわいい。断れない。かわいいのは君だよ!
仕方ない。洗濯は夫に押しつけて、母が息子の歯を磨いたのであった。
ちなみに歯磨きのしつこさ(時間の長さ)とか、口をきちんと開けないとスグ怒るとか、そう言うのは母の方が断然上だと思う。だけど、動画の前には小さい問題のようで…
当分母が仕上げ磨きする事になりそう。仕方ない、だってとってもかわいいんだもん。